私は、自分がアーティスティックな性質で、内向的、エンパシーがあり、象徴を読み解くのが大好きで、文章の文脈の流れが自然にわかるし、どこで物語にカーブをつけたか、作家がどこを組み立てて書いたのか、どこは降りてくるままに書いたのかがわかる。文章を読むと、エネルギーを読んでいるし、絵画を見ても、同じことをしてる。
自分の中の内観はとても得意だし、自分の醜い面も含めた、内面世界の探求の勇者でもある。
でも、私は、そういう自分自身を、長いこと隠していた。
自分が生まれた環境、周囲の人、それらが、皆目に見えるもの、結果で測れるものが価値の全てだと思っていたので、そういう面だけ、外側に出していた。
それは、後から考えると、男性性的なものの尺度だけが、目に映る価値とされる世界で、女性性的なものは、欠落していて、完全に存在が透明化されている場所だった。
だから、私も自分の女性性を完全に抑圧、否定していたんだ。
だけど、その男性性の世界でやっていく中で、どうしても水から上がった魚みたいに干上がって、色のない世界が無理だった。
だけど、男性性しか存在しない世界が、世界の全てだと思ってたから、世界で何もできない自分を認められなかった。
だけど、そんな自分を見ていく中で、冥界下りの中で、自分を探って探求していくと、私が押し込め、抑圧してたもの、本当は、私が好きなもの、得意なもの、自然とできるもの。それらの宝が発見された。
でも、それは、私がいた環境では、評価されないし、誰も見えていない、存在自体が透明化され、その世界で完全に欠落してるものだったから、私は、それを自分で認めてあげないといけなかった。
だけど、後からそれらを辿り直すと、この特性、強みは、私自身が、見つけて、触って、認識して、認めてあげなきゃ、いけないものだったんだって。
アーティスティックな才能は、多分必ず、自分が掘り起こす勇気を持たない限り、外に出せない。
それは、たとえ誰かが先に見つけてくれても、自分がそれを認めて、信じるステップが必要なんだって。
それで、私は自分の環境、真逆で、辛かったなって思った。
だけど、だからこそ、一人で発掘探求するしかなく、だからこそ、どこまでも深く入っていけたのかも知れなかった。
すごく孤独だったり、時間がかかったり、50年もかかったわけだから・・・。それに、信じるまで、すごく心細かったり、すぐ忘れてしまったりもした。
だけど、その過程そのものが、私が生きた時間であり、足跡。
私は、自分が、男性性の世界を世界の全てだと思って、私自身を否定してしまっていたところから、自分の目と足で、自分の中の本当の私自身を探求できたこと、それを誇りに思っている。
それ、なんとなく忘れていたけど、今日思い出した。
そうだ、私、転換点があったんだって。失敗した、じゃなく、合わなかった。合わなかったのは、私の強みが別にあったから。本当の自分をいつも隠していたから。それは、いけないことだと思ってきたから。弱さや、おかしなことっていうふうに。
だけど、そうじゃない。私にとって、それは真実。悦びであり、楽しみ。
そう認めて、次に、私の魅惑を味わい、強みを認めた。
そして、その自分の生来の媚薬を纏って、この世界を生きることに決める。
そんな決心ができた自分が好き。そして、それを誇る。